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November 23, 2006
『四つの最後の歌』は本当に『四つの最近の歌』なのか?
リヒャルト・シュトラウスの『四つの最後の歌』について、以前から疑問に思っていることがあります。この曲集の原題は、Vier letzte Lieder で、一般には『四つの最後の歌』と訳されています。ところがこれを「最後の」と訳すのは間違いで、単に「最近作」に過ぎない、という説がありますよね。これについてです。確かにドイツ語の letzt は(英語の last もですが)「最近の」「最後の」両方の意味があります。
同じような「誤訳」の例として、マーラーの『最後の7つの歌』(『リュッケルト』+「死んだ鼓手」「少年鼓手」)というのがあります。こちらは 7 Lieder aus letzter Zeit ですが、この後『亡き子』もあるし、『大地の歌』もあるので、まあ「最後」は間違いで「最近」でいいでしょう。しかしシュトラウスの場合は、結果的に(Malvenを除き)最後の作品になってしまったので,内容もいかにも最後という感じなので、いまさらこの letzte が「最後」ではないと言われても、どうも違和感があるわけです。
私はドイツ語の専門家じゃないし、シュトラウスの伝記も、古い『大音楽家・人と作品』しか持ってないんでちゃんと調べてないんですが、どなたかご存知の方ご教示ください。
疑問はこうです。Vier letzte Lieder の letzte「最新の」が「最後の」と解釈されてるようになったのはどの段階なんでしょうか?
例えば次のような可能性が考えられると思うのです。
a.) letzte に「最後の」という意味をこめて訳すのは日本だけで,ドイツ語圏(や他の欧米諸国)では「最後の」という意味は当時も今もまったくない。
#一番よくあるケースですよね。最初の訳が正しくなかったのに,人口に膾炙してしまって,いまさら訂正できなくなったというものです。
b.) 実はこの誤解(意味の変化)はドイツ語圏で起こったものである。当初は「最近作」の意味だったが,結果的に最後の作品となってしまったので、現在も letzte は,事実上「最後の」の意味で使われている。
#・・・というのは,現在欧米で演奏される場合も letzte がタイトルに入ってますよね? これらも単に「最近の」の意味で使われてるのだろうか,という疑問があるわけです。内容はどう見ても非常に「最後」っぽいですから,西洋の歌手が「最後の」の意味で使っていても不思議でないような気がします。
c.) 出版社がタイトルをつけるときに,最初から「最近作」に「最後の」の意味もこめて letzte という単語を使った。
#たとえばシュトラウスは生前にたくさん歌曲を出版していますが,どの曲も出版当時は「最近作」だったわけですよね。それらのタイトルには letzte は使われてるんでしょうか。もしもシュトラウスの歌曲でこの曲集にだけ letzte があえて使われたとしたら,それは final という意味を暗に含めていたということはないでしょうか?
d.) そもそも letzt は letzt であって、日本人と違って「最後の」「最近の」という違いは意識されていない。
#さすがにちょっとこれはないような気もしますが。
e.) この letzte を「最近の」と訳すのはおかしい。「最後の」でよろしい。
#これは初演されたとき、出版されたときのタイトルがどうなってたかを調べなきゃいけないですね。作曲者が生きてるのに「最後の」はやっぱりおかしいわけで。
似たような言葉として、マーラーの9番の最後のところにある、ersterbend がありますね。これも別に一般的にディミヌエンドみたいな意味でも使われてるのに、この曲のこの箇所に使われていると、この世への告別っぽい意味で解釈されることが多いように思います。ということは Vier letzte Lieder は本当に『四つの最近の歌』でいいのかな、と思ってしまうわけですね。これが『最近』なら letzte にも過剰な忖度をすべきではないし、letzte に特別な意味があるなら『四つの最後の歌』は本当は「最近」なんだ、などというべきではないというわけです。果たして真相はどうなのでしょう??
(コメント欄をしばらく再開します)