(最終更新日:1998年9月3日)
1997年4月10日19時、ザ・シンフォニーホール
本名徹二指揮
ザ・シンフォニーユースオーケストラ
シマノフスキ:演奏会用序曲
マーラー:交響曲第7番
このオーケストラは関西のいろいろな大学オーケストラの有志が集まって、年に一回演奏会を開いているものだそうです。2階席を見ていないので正確にはわかりませんが、客の入りは8割というところでしょうか。
◆演奏会用序曲(シマノフスキ)
まずオケの配置を見て驚きました。左から第1Vn、Vc、Vla、第2Vn、つまり、ヴァイオリンを左右に振り分けた配置です。Cbは第1Vnの後ろ、左奥にはホルン、右奥にハープでした。うーむ、学生オケでこれやって大丈夫かな、という懸念は、最初の音が出ると吹き飛びました。うまいがな。この「ドン・ファン」を初期シェーンベルク風(フニャフニャのメロディーライン。頭痛くなるような甘ーい和声。)にしたような音楽を気持ち良く聞かせてくれました。私は爆発大好き、しかもアマオケの爆発はまた特に好きなんですが、その意味でも満足でした。はじめて聴いたと思ってたんですが、マルコポーロのCDを持ってたのを思い出して、帰ってから聴いてみましたが、なまぬるい演奏で、今回のコンサートの方がずっと良かったです。
◆交響曲第7番(マーラー)
第7を生で聴くのは若杉さんのサントリー音楽賞受賞コンサート以来でした。(あのときはプログラムの表紙に "Das Lied von der Nacht" と書いてあって笑いました。あれ、わざとだったんでしょうか。)
さて、本名さんの解釈で特徴的だったのは、かなり速いテンポ設定です。ここまで早いのはかなり珍しいんじゃないでしょうか。しかし、響きが透明なので厚ぼったく混濁することはなく、前へ前へと進む推進力が強調されると同時に、いろんなところでいろんな人がいろんなことをやっているこの交響曲の面白さも十分に楽しめました。ただ、この曲を管弦楽のための協奏曲か巨大なディベルティメントとして聴くのが好きな私はとても気に入りましたが、反面、「夜」のイメージとか表現主義的なドロドロしたものを求めたい人にはさわやかすぎて物たりなかったかもしれません。
第1楽章では冒頭のソロ(今回はユーフォニウム)はじめ、各楽器のソロもうまく、マーラーの凝ったオーケストレーションを堪能しました。今回私は早く行ったので、当日指定で一階中央の席がもらえたんですが(こんな席でオーケストラを聴くのは久しぶりでした。)この楽章に多い「ラッパを上げて Schalltr.auf」の効果(音色が全然違う)や、両Vnの掛け合い(第9ほどではないですが)もよくわかり、そのご利益は十分にありました。また、sf のあと p が来たりする部分の反応も実にシャープで印象に残りました。第2楽章も早めのテンポでしたので、第1楽章との対比よりも、同質性を強く感じました。考えてみれば行進のリズムは続いているわけですから、これはこれで十分うなづける解釈だと思います。
面白かったのは、あちこちからいろんなものが飛んでくる第3楽章です。これも早めのテンポだったんですが、この楽章が「死の舞踏」とか「魔法使いの弟子」とか「悲しきワルツ」のような、舞曲の形式を使った標題音楽であることを強く感じました。でもこれは本名さんの解釈がそうだったというより、生で聴いて、家のみすぼらしい装置よりもこの不思議な音楽の特殊効果がよくわかったからというだけかもしれません。
第4楽章もソロや室内楽的な響きの多い楽章ですが、みんな見事でした。なお、マンドリンはオーケストラのちょうど真ん中(指揮者のすぐ前)、ギターはその後ろに坐っていました。その後の第5楽章も、迫力があってしかもうるさくなく、多彩な響きを楽しく聴かせてくれました。
珍しいプログラムも良し、席も良し(ちょっと周囲のジジババがガサゴソうるさかったけど)、演奏ももちろん良し、非常に満足した演奏会でした。これで1500円は安い!なお、私は技術的なミスはもともとあんまり気にしない方なのですが、それにしてもこのオーケストラの水準はとても高く、アマチュアだということを忘れそうでした。
ところで今回のMVPは長丁場を一人で見事に叩ききったティンパニのお姉ちゃんです。めっちゃカッコ良かったです。
京響第393回定期演奏会
1997年4月14日19時・京都コンサートホール
指揮:井上道義 フルート:フィリップ・ベルノルド
ハイドン/交響曲第49番ヘ短調「受難」
ハチャトゥリヤン/フルート協奏曲
ショスタコーヴィチ/交響曲第12番「1917年」
京都コンサートホールに会場が移ってからはじめて京響定期を聴きに行って来ました。客席の入りは7〜8割というところでした。
◆ハイドン/交響曲第49番ヘ短調「受難」
はじめて聴く曲でしたが、いい曲でした。ハイドンの短調はバッハともモーツァルトともベートーヴェンとも違う、独特の世界があります。演奏は、京響の弦楽アンサンブルの水準の高さ(特にプレストのフィナーレ)が印象に残るものでした。しかしその反面、センチュリーなどにくらべるとやや音色にうるおいの乏しさを感じました。激しい曲想のため、不満に思うというほどではありませんでしたが。
◆ハチャトゥリヤン/フルート協奏曲
いわずと知れたヴァイオリン協奏曲の編曲です。録音も出ているようですが、この版で聴くのははじめてでした。強烈な民族的語法の曲だけに、はたしてフルートはどうかという懸念がありましたが、結果は非常に面白かったです。最初の、フルートが入ってくる部分は、かなり無理をしている感じがありましたが、叙情的な部分になると本領発揮、次第に調子を上げて来たのか、速い部分も見事に吹きこなしていたと思います。第2楽章はまさにフルートのために書かれた音楽のように感じられるほどでした。フィナーレも輝かしい音色でヴィルトゥオジティを発揮、原曲を忘れて楽しめました。
独奏のベルノルド氏には盛大な拍手が贈られましたが、もらった花束から花を抜いて、オーケストラの三人のフルート奏者(全員女性)に一輪ずつわたす茶目っ気には、さらに拍手が贈られました。アンコールにドビュッシーの「シランクス」を演奏されましたがこれがまた名演でした。
◆ショスタコーヴィチ/交響曲第12番「1917年」
さて問題のショスタコーヴィチです。会場で販売されたプログラムには、出谷啓氏の解説が掲載されていたのですが、同時に一柳富美子氏の書いたこの曲についての文章が配布されました。内容は、この曲の、特に第4楽章に頻出する3音の動機はスターリンの頭文字を表している、というものでした。個人的にはこの考えには必ずしも賛成できないのですが、今回はこれに基づいた演奏がされるようなことが書かれてあったので、楽しみに待ちました。
まず難物の第1楽章は、ムラヴィンスキーほどではないにせよ、かなり速めのテンポを取っていました。しかし弦楽器は引き締まった合奏でよくついて行き、管楽器のソロも見事でした。また頻出する最強音も迫力十分でした。第2、第3楽章もまずは立派な演奏で、第4楽章です。問題のEs−B−Cがトロンボーンとチューバのffで奏されるところ(練習番号96の直前)は非常に重々しく、そしてその後のフェルマータを長く取ることで、この動機をまるで死刑宣告のように演奏していました。是非はともかく意欲的な解釈でした。
京都会館で聴きなれていた京響ですが、新しいホールではとても聴きばえのするオーケストラになっていました。プログラムも大変興味深く、非常に楽しめました。確か12番は再演のはずですが、今度はぜひ11番をやってほしいものです。京都と東京で演奏して名演奏だったらしいのですが、京都は前半にヨーヨー・マが出てドヴォルザークを弾いたためにチケットの値段が跳ね上っていけなかったもので。
なお、今回の演奏会の模様は4月27日にKBSテレビで放送されるそうです。
大フィル創立50周年記念コンサート
4月29日(火)3:00 フェスティヴァルホール
1.R.シュトラウス/祝典前奏曲
2.大栗裕/ヴァイオリン協奏曲(独奏:中島慎子)
3.R.シュトラウス/アルプス交響曲
外山雄三(1,2)朝比奈隆(3)/大阪フィル
同じプログラムが、26日に同じ会場で定期演奏会としても演奏されたのですが、私の行ったのはMIN−ON主催のものでした。入りは9割ぐらいだったでしょうか。ちょっと風邪のお客さんが多かったです。
◆R.シュトラウス/祝典前奏曲
FMやテレビでは聞いたことがありましたが、生では初めてでした。大編成のオーケストラなんですが、オルガンが入っている以外は特に変わったオーケストレーションもなく、構成も単調でちょっと退屈しました。ものすごく長い国歌っていう感じでしょうか。レニ・リーフェンシュタールの「オリンピア」の音楽なんかも連想しました(そういえばあの時の「オリンピック賛歌」はシュトラウスでしたか。)。珍しい曲を生で聴けたのは良かったですが。
◆大栗裕/ヴァイオリン協奏曲(独奏:中島慎子)
私は伊福部さんとかがだめなので、きっと似たようなもんだろうと思って大栗さんも敬遠してきました (^^;)。ところが聞いてみると、ん? 面白いやん。最初のほうはショスタコーヴィチの2番みたいな乾いたユーモラスな響き、第2楽章はハチャトゥリヤンを思い出しました。でも真似という感じではなくて独自の個性が強く感じられます。日本風のメロディをオーケストラで演奏すると、どうも不自然(オケ伴奏の「春の海」とか)で、背中がカユくなるようなことが多いのですが、この曲は日本風(大阪風?)の素材を使いながら、それがとても自然に生きているのに感心しました。ファンが多いのも納得できます。
なお、ヴァイオリンは、3月の時点では数住岸子さんと発表されていたのですが、病気のため、3月末の神戸定期でのブラームスは宗倫ただ(字が出ない)さん、そして今回は中島さんに変更になりました。
◆R.シュトラウス/アルプス交響曲
ここぞという時にはなぜか「アルプス」をやる朝比奈さん。今回も楽しかったです。オーケストラに輝かしさとか爆発力がもう少しあれば、と思いましたが、これはホールの響きのせいもあるのである程度仕方ないでしょう。ウィンドマシンはさっきまでトライアングルを叩いていた女性が重そうに一所懸命ドラムを回していたんで、視覚的にも聴覚的にも面白かったんですが、小さなカーテンみたいなのをバタバタさせる雷の方は、一回だけ、しかも音響的に一番やかましいところの登場ということで、私の席(2階)ではほとんど聞き分けられませんでした。全体の構成がどうのということは、私、この曲に関しては
わかりません ^^;)。
「アルプス」目当てで行ったんですが、大栗さんの曲の素晴らしさには、認識不足を反省させられました。もちろん「アルプス」も良かったし、十分楽しませていただきました。
残念だったのは、プログラムにメンバー表がなかったことです。シュトラウスの2曲で活躍したオルガン奏者の名も書かれていなかったし、かのでいる・クレベンジャーがホルンのトップを吹いていたこともあとで知りました。なお、MBSのテレビカメラが収録していました。
諏訪内晶子&ボリス・ベレゾフスキー・デュオ・リサイタル
5月2日19時 京都コンサートホール(大ホール)
ベートーヴェン/ヴァイオリン・ソナタ変ホ長調Op.12−3
シュニトケ/ヴァイオリン・ソナタ(1963)
−休憩−
ヤナーチェク/ヴァイオリン・ソナタ
ドヴォルザーク/4つのロマンティックな小品
同(クライスラー編)/スラヴ舞曲Op72ー2
ブラームス(ヨアヒム編)/ハンガリー舞曲第2番
チャイコフスキー/なつかしい土地の思い出より
メロディ&スケルツォ(アンコール)
◆ベートーヴェン/ヴァイオリン・ソナタ変ホ長調Op.12−3
結構難しそうなパッセージもあるこの曲ですが、速めのテンポで調子良く進む演奏でした。ただ、ほんのちょっと荒っぽいかなというところもありました。なんというか、思いっ切り速球を投げこまず、ストライクを置きにくる感じというのか・・・。悪くはなかったんですが。
◆シュニトケ/ヴァイオリン・ソナタ(1963)
当夜の圧巻はこれでした。ドゥビンスキー&エドリーナのCDで予習していったんですが、第1音から表情が濃い!第1楽章の間、指一本動かせないような緊張した音楽が続きます。その後も、息が止まりそうな重音の連続、頭がおかしくなりそうな超高音(第3楽章最後のフラジオレットも見事)もぴしゃりと決まり、この曲のもつ激しいドラマ性が高い集中力をもって表現されていました。ベレゾフスキーのピアノもすばらしく、豊かな音色が印象的でした。フィナーレのブギウギ(?)のリズムは、1963年と現在で聴衆に与える印象が全く違うため、解釈が難しいと思いますが、諏訪内とベレゾフスキーは、この楽章も非常にシリアスな音楽として演奏することで、感動的な締め括りを作っていました。最近の作品については批評も賛否両論のシュニトケですが、このような作品を聴くとやっぱり大変な作曲家なんだなあと思います。
◆ヤナーチェク/ヴァイオリン・ソナタ
これもシュニトケと同様、緊張感あふれたドラマティックな演奏でした。私のデフォルトがバリリ&ホレチェクのいささかひなびた演奏なので、ぜんぜん違う曲のように聞こえました。どちらが良い悪いでなく、こういうのもありか、という感じです。ロシア軍による解放を表すという終楽章のトレモロは、ベレゾフスキーはあまりこれ見よがしに強調するというのでなく、とても美しく弾いていました。
◆ドヴォルザーク/4つのロマンティックな小品
私の知る限り、チラシ等で予告されていたのはヤナーチェクまでで、ここから後は当日会場で発表されました。この作品を4つまとめて生で聴くのははじめてだったんですが、センチメンタルになりすぎず、かと言って歌心も不足せず、美しいメロディを堪能しました。
◆同(クライスラー編)/スラヴ舞曲Op72ー2
これも同様ですが、もう少し方の力を抜いてセンチメンタルでもいいかとも思いました。それと、重音奏法のところでやや音程が甘いかな、というところがありました。
◆ブラームス(ヨアヒム編)/ハンガリー舞曲第2番
わざわざ激しい曲想の第2番を選んだのもむべなるかな、諏訪内さんの超絶技巧が爆発、ギトリスもかくやという熱演、楽しかったです。しかしヴァイオリンって大きな音が出るんですね。
◆チャイコフスキー/なつかしい土地の思い出よりメロディ&スケルツォ(アンコール)
「チィコーフスキィ」とアンコールを紹介したのはベレゾフスキーでした。「メロディ」は美しく歌い、「スケルツォ」は快速で弾ききり、それぞれ面白く聴かせてくれました。
諏訪内さんの、チャイコフスキー・コンクール直後のリサイタルは、ピアニストがうるさく(ジュリアード系の人のときによくついてくる人)、結局一番良かったのは「ツィガーヌ」の無伴奏の部分という、ちょっと不満の残るものでした。しかし今回ベレゾフスキーはスタインウェイの蓋をしっかり開けていたのに、適切なバランスを保ち、しかも自分の音楽もしっかり表現しており、力のある演奏家どうしのデュオの醍醐味を味わうことができました。チャイコフスキー・コンクールの優勝者二人を組ませるというのを誰が思い付いたのか知りませんが、結果は大成功だったんじゃないでしょうか。意欲的なプログラムを含め、大変満足しました。
関西二期会第46回オペラ公演「ワルキューレ」全3幕
1997年5月11日(日)14時
尼崎・アルカイックホール
出演:
ジークムント・・成田勝美
フンディング・・松下雅人
ヴォータン・・橘 茂
ジークリンデ・・岡坊久美子
ブリュンヒルデ・・雑賀美可
フリッカ・・橋爪万理子
ヘルムヴィーゲ・・馬場恵子
ゲルヒルデ・・田中智子
オルトリンデ・・宇留島美穂
ヴァルトラウテ・・山名智恵子
ジークルーネ・・生駒純子
ロスヴァイゼ・・関目昌子
グリムゲルデ・・広瀬淑子
シュヴェルトライデ・・酒井泰子
現田茂夫/大阪フィル
演出:西澤敬一 美術:堀尾幸男 照明:吉井澄雄
◆第1幕
幕があがると舞台中央に巨大な長テーブルと4脚の椅子、後ろには大きな直方体のトネリコがいずれも斜めに置かれている。両サイドは舞台が二段になっており、階段で上れるようになっている。具体的とも抽象的とも言える装置だが、薄暗い照明が効果的で、とても雰囲気がある。
ジークムント登場、怪我をしてるくせにやたら無駄に走りまわるのでおやと思う。声はよく通るけれど、フォルテできばると音程が定まらず、少々不満。ジークリンデはとても良かった。ところがフンディングが帰って来る前にもう抱き合わんばかりの勢い。ちょっと早いんじゃないの? やがてフンディング帰宅。ちょっと滑稽なほどの悪役メイク。声はやや荒さも感じたが、役が役だけに悪くなし。ただ、リアクションがいちいち大仰なのは閉口。ジークムントが「結局その女性は守れなかった」云々と語る場面でフンディングがワッハハハと露骨に嘲笑。フンディングの邪悪な性格を表現しようとでもしてつもりかもしれないが、これは逆効果。その嘲笑に全く反応せず話を続けるジークムントがバカに見える。
月光は、舞台正面ではなく奥の下手から差し込み、とても美しく鮮やか。ところがここでも演出が気にいらない。ジークリンデは小川に自分の顔を写す所作をするためにわざわざテーブルに飛び乗る下品な振る舞い。最後の場面ではテーブルをベッドがわりに二人抱き合ってごろごろ。このジークリンデなら別にジークムントでなくても、男の客が来たら全員ヤラせてるに違いない。岡坊さんかわいそう。
◆第2幕
この幕では両側の階段舞台が中央でくっつけられ、ちょうど舞台の前が一階、後ろが二階の二段になる。いきなりヴァルキューレ8人がずらりと並んでいて驚く。さてブリュンヒルデの第一声。ん?声が小さい。風邪か?どうやら第3幕のために声をセーヴしていたらしいのだが、こういうのもどうかと思う。なにしろ「ヴァルハラを英雄で満たしました」のところなんて、全然聞こえなかったし。
フリッカが出て来ると、予想通り二階中央に仁王立ち、一階のヴォータンに上から物を言う。ベタな演出やなあ。フリッカは迫力十分で見事。ところがここでも演出がこっちの神経を逆撫で。フリッカになにか言われるごとに、いちいち大袈裟にリアクションするヴォータン。人間的とかそういうレベルでなく、どっちかというと大人げない。今にも Maledetta ! とか叫び出しそう。声は美声でとても良かったのに。だいたいこの演出、感情を絵解きしすぎるので物語が浅く、安っぽくなる。
ジークムントとブリュンヒルデの場面は、フォルテが少ないのでジークムントの力みは第1幕ほど気にならず。ただ、ブリュンヒルデが二人の愛情に感動してあなたを勝たせましょうと言ってるのに、そちらには目もくれず、ジークリンデばっかり見ているジークムント。君、ちょっと失礼やぞ。
フンディングとの対決では、上手からジークムントを応援するブリュンヒルデに対して、なんと下手にフリッカが登場。うーむ、歌詞から言って、おかしいやろう、どう考えても。それと幕切れ、ジークリンデが逃げるとき、倒れてるジークムントの方を振り向きもせず、ブリュンヒルデの前をとっとと歩くのもどうかなあ。ここは後ろ髪ひかれながらでしょうに。
◆第3幕
階段舞台は再び両側に寄せられ、中央に岩。ワルキューレが走りまわるのはいいが、狭い階段の踊り場みたいなところを大勢が槍とか盾を持って行ったり来たりするのは見ていて危なっかしくてしょうがない。事故がなかったから良かったようなものの。郷ひろみの骨折は他人ごとやないよ。
この幕のブリュンヒルデは見違えるように声が出て立派。ところがヴォータンに怒られるところでは他の8人が一斉に同じ動きで感情を表現(しているつもりらしい)。 まるでお遊戯。
ヴォータンの告別、歌はとても良かったのに演出がやっぱりダメ。これから眠らされる岩の上でブリュンヒルデは「サウンドオブミュージック」のオープニングみたいに、両手をいっぱいに広げて(「ああ、空気がおいしい!」とか言いそうなポーズ)楽しそうだし、ヴォータンのキスの後、自分で寝床へ歩いていくに至っては、腹が立つのを通り越して失笑してしまった。
ジークムント以外の歌手、装置、照明はとても良かったです。オーケストラはミスがなかったわけではないし、もっと迫力があれば、とかリズムをちゃんとキープしてくれれば、というところが無くはなかったですが、健闘していたと思います。おかげで総合的にはとても楽しめましたし、満足しました。演出家の名前はよく覚えておいて(有名な人だそうです)、この人の演出する舞台は今後行かないように気をつけたいと思います。
朝比奈隆・ベートーヴェン・チクルス
1997年5月25日15時・ザ・シンフォニーホール
ベートーヴェン:交響曲第8番
同 第7番
朝比奈隆/大阪フィルハーモニー交響楽団
◆交響曲第8番
冒頭からゆったりしたテンポなんですが、リズムの刻みがテコでも動かない堅さなので、長めの休符のところでもちゃんと背後にリズムが刻まれていることが感じられました。我々が、朝比奈さんの演奏というとまっさきに思い浮かべる種類の演奏です。ベートーヴェンの交響曲の中で、第1、第2、第4、第8は、オリジナル楽器風に機敏な動きで演奏するやり方も、クレンペラー風に堂々たる大交響曲として演奏するやり方も可能ですが、朝比奈さんは全部後者でした。37分ぐらいかかった第1はちょっとどうかと思いましたが、第8はとても良かったです。
その効果が最もよく出たと感じたのが、実は第2楽章でした。この楽章「どうだ面白いだろう」みたいにこれ見よがしにやられると、なんか「ユーモアは人生に必要なものなのである」とか説教されてる気分になってうんざりなのですが、こういう遅めのテンポでがっちりした、あざとくない演奏だと、カルロス・クライバーの「雷鳴と電光」みたいな逆説的な感動があります。東京の落語の大師匠のやる小噺といった味わいでしょうか。
第3楽章も良かったんですが、トリオのホルンはさすがにはらはらしました。まあ、でも昔に比べれば大フィルのホルンもずいぶんよくなりましたよね。しかしベートーヴェンも「第8」でホルンにこんなメロディを吹かせてることを考えると、第9のフィナーレのトランペットも、もし音が出ればメロディを吹かせたかったんじゃないかなという気がしないでもありません。
フィナーレの例の3連符、これまで生演奏でまともに聞こえたことはないし、別に聞こえなきゃいけないってもんでもない(ベートーヴェンのテンポ指定を考えるとなおさら)でしょうけど、今回はかなりはっきり聞こえました。これはシンフォニーホールの残響の長さを考えると驚異的なことです。これでわかるようにテンポはやはり遅めだったのですが、全く鈍重には感じませんでした。これは他の楽章にも言えることですが、テンポの揺れをほとんどなくすことで、この交響曲のもつドライヴ感が生きていて、聴く者が心地よくそれに乗っかれる演奏だったと思います。他の演奏ではテンポが崩れがちな後半の二つの楽章ではとくにそれを感じました。どびつこい(「しつこい」の最上級^^;)コーダもちゃんと必然性が感じられました。
◆交響曲第7番
さて、第7番はうって変わって、ということはまったくなく、大交響曲として演奏するという全体のコンセプトは第8と共通していたと思います。もちろんリピートは目一杯、時間は見ていませんでしたが、かなり長い演奏だったんではないでしょうか。N響でやったときは47分ぐらいでしたっけ。
N響でやった第4では、第1楽章第183小節のチェロとコントラバスのFを演奏させて(今回のチクルスでは普段通りカット)、我々を驚かせてくれた朝比奈御大(演奏後「面白かったかい?」と言ってたのはこれも含まれる?)ですが、第7についてはもう薬籠中に入ったもので、安心して興奮できるって感じでした。テンポの引き締めは第8ほどではなく、楽員が前へ前へ行こうとする場面もありました。こういう曲ですからこれもありですね。
思うに、第7は大フィルも演奏し慣れてるので、リハーサルは第8中心だったんではないでしょうか。技術的なミス、このシリーズはとても少ないんですが、第7では第3楽章でクラリネット(オーボエだったかな)がひっくり返るようなこともありましたし。
しかしこの曲、途中に何があってもフィナーレがよければすべて良しというところがありまして、その辺は朝比奈先生、かなりのアッチェレランドをサービスしてくれました。お約束のブラボーもひときわ盛大であったことは言うまでもありません。こういう場合は一緒に興奮するのが正しい楽しみ方ですね。
ともあれ、大変いい演奏会でした。特に「第8」はとても気に入りました。もちろん「第7」も良かったです。なお、この演奏会の模様は8月15日深夜のABCテレビ「フリーチャンネル」の枠で放送されるそうです。
大阪センチュリー交響楽団第42回定期演奏会
1997年6月23日19時 ザ・シンフォニーホール
指揮:広上淳一
ピアノ:東誠三
ハイドン:交響曲第102番
ベートーヴェン/ピアノ協奏曲第5番「皇帝」
−休憩−
シューベルト/交響曲第3番ニ長調
◆ハイドン:交響曲第102番
この曲、あだ名こそついていないものの、ハイドンの交響曲中屈指の傑作であることはご存じの方も多いと思います。私も好きな曲なのですが、久しぶりに聴いて、あらためて内容の濃い曲やなあと思いました。第1楽章からフィナーレまで、いろんな技、思いがけないほど多彩な音色をを駆使してさまざまな景色を見せてくれ、これだけいい材料使ってこの値段?というような曲です。広上さんの指揮はいつもの通り、強弱の幅の激しいきびきびしたもので、遅めのテンポを保ち、からくり仕掛けが次々動いていくような面白い効果が出ていた第1楽章展開部などが印象的でした。
◆ベートーヴェン/ピアノ協奏曲第5番「皇帝」
ソリストの東さんという人ははじめてだったんですが、冒頭のカデンツァを、ぐっとテンポを落とし、とても繊細に弾くところからもう、この人結構面白いぞ、と思わせます。オーケストラを非常に堂々とならす広上さんに対し、東さんは、合わすべきところは合わしているのですが、トゥッティに構わず一人で弾けるところになると、すぐに内省的にピアノを歌わせはじめてしまいます。個性的な演奏でした。一度リサイタルも聴いてみたいです。拍手に応えて、オーケストラにはゴメン!というような手振りをして、「悲愴」の第2楽章をアンコールしてくれました。
◆シューベルト/交響曲第3番ニ長調
シューベルトの初期の交響曲は好きなんですが、ハイドンの102番の後となるとちょっと分が悪かったようです。第3は、随所に「グレート」の雛形的要素が出てきて面白いのですが、独立した交響曲としてみると、やはり主題労作の未熟さというのか、ちょっと物足りなさが残る曲ではあります。演奏は良かったです。
ちょっと地味かなと思ったプログラムでしたが、なかなかどうして、かなり腹いっぱいになる演奏会でした。東誠三さんという人は注目したいと思います。